みなさん、「正義」と言ったら何を思い浮かべますか。ウルトラマンやアンパンマンなどの正義のヒーローが浮かぶかもしれません。
ちなみに、私は「正義」と聞いて思い浮かぶのは、「正義の反対は、また別の正義である」という言葉が好きで思い出しますね。
そんな今回は、マイケル・サンデルさんが執筆した『これからの「正義」の話をしよう』という本を読み考察してみることにしました。
新たな雑草を目指してLets Go!
『これからの「正義」の話をしよう』の要約
第1章 正しいことをする
正義や道徳に関する議論は長い間続いていますが、これらの問題はなかなか解決されていない課題と言えます。
具体的な事例として、妊娠中絶の問題や富裕層への課税、さらに大学入試における積極的差別是正政策などが挙げられます。
筆者はこうした正義や道徳に関わる問題について議論を展開するためには、「正義」の概念を深く探求することが欠かせないと考えています。
この正義の議論の中で、幸福の最大化、個人の自由の尊重、美徳や善行の概念といった3つの論点がこの本で述べられています。
第2章 最大幸福原理 − 功利主義
第2章では、ベンサムの功利主義が紹介されています。
ベンサムは、社会の総合的な苦痛を最小限に抑えつつ、喜びを最大限に追求するという観点を提唱しました。
要するに、なるべく多くの人々に幸福をもたらすことを目指す思想です。
筆者は功利主義に対する2つの批判を挙げています。
1つ目の批判は、個人の権利が軽視される可能性があることです。
多くの人々の幸福を優先することが、個人の権利を無視してしまう可能性を指摘しています。
2つ目の批判は、幸福を定量化することが難しい点です。
人々の幸福の尺度が異なるため、ベンサムの提唱する社会の総合的な苦痛の最小化と喜びの最大化を具現化することが難しいとの懸念が述べられています。
第3章 私は私のものなのか? − リバタリアニズム(自由市場主義)
第3章では、リバタリアニズムについて紹介しています。
リバタリアニズムは、個人の自由や権利を極めて重視し、政府の介入を最小限に抑える立場を指します。
この思想は、政府の権限や規制を制約し、個人の選択と自己責任を尊重することを強調します。
一方で、リバタリアニズムには問題点も存在します。
筆者は特に、臓器売買について論じています。資金に困っている人々が臓器を金持ちに売ることが許容されるべきかという疑問が提起されています。
第4章 雇われ助っ人 − 市場と道徳
第4章では、兵士を募る方法についての具体的な例が取り上げられています。
具体的には、徴兵制、身代わり制度、志願兵制の3つの方法が紹介されています。
この中で、志願兵制が功利主義者やリバタリアンから支持される理由が述べられています。
功利主義者は社会全体の幸福の合計を考慮し、リバタリアンは個人の自由を重視する観点から志願兵制に賛同するとされています。
ただし、功利主義者やリバタリアンにも、批判が存在します。
それは、「経済的な事情から他に選択肢が限られる場合」や「兵役は市民の責務であるという見解」からの批判です。
このため、筆者は「自由市場の中で私たちの選択がどの程度自由なのか」といった問題や、「金銭で得られない美徳や高級なものが存在するのか」といった問題を避けては通れないと指摘しています。
第5章 重要なのは動機 − イマヌエル・カント
第5章では、イマヌエル・カントの考えについて紹介されています。
カントは、人間は自己意志を持つ理性的な存在であり、そのために単なる手段として扱われるべきではないと主張しました。
また、人々は個々の存在ではなく、より高い目的を追求するために存在するとされ、この尊厳を尊重することが重要だと述べました。
カントは功利主義について認めませんでした。
その理由は、ベンサムの「人間の行動原理は、快楽を好み苦痛を避けること」という見解が一面的には正しいとしても、それに従うことが感性的な欲望の奴隷として行動するだけであり、人間の尊厳を持つ理性的な側面が欠落しているとカントは考えました。
カントは人間を、感性的な側面だけでなく理性的な側面を持つ存在と捉えており、そのためベンサムの功利主義は部分的には正しいが部分的には正しくないと評価しました。
カントはリバタリアニズムについても認めませんでした。
その理由は、根本的な道徳原則において、人間は自己の所有物ではなく、自身を含む他の人格すべてが尊重されるべきだとカントは考えました。
具体的な例として、売春が挙げられます。
カントは、夫婦間の性行為には尊厳が存在する一方で、売春は人々が商品として扱われるため、自由な経済活動を支持するリバタリアン的な見解はカントによって否定されるとされました。
第6章 平等の擁護 − ジョン・ロールズ
第6章では、ジョン・ロールズの考えについて紹介されています。
ロールズは、自分が社会のどの位置にいるか、どの身分や経済的な地位にあるか、どの才能や特権を持っているか、そしてどの価値観や信念を持っているかについての情報を一切知らない状態で、社会の基本的な原則やルールを選択する必要がある場合、個人は自分自身の利益や好みを考慮せずに、全ての人々の平等な権利と利益を尊重する公正な社会の基本的な原則を選択すると述べました。
つまり、誰もが自分の状況がわからない時は、できるだけ平等な状態を目指すようになる、それを無知のベールと呼びました。
この方法によって、特定の利益を保護するために優越的な地位を利用することができないため、公平な視点から社会のルールや政策を考えることが可能になります。
無知のヴェールのアイデアは、個人のバイアスや特権を排除して公正な社会の基盤を築くための方法として提案されました。
ロールズは、無知のベールの考えから功利主義は選択されないと述べられました。
その理由は、無知のベールにいる時、差別や迫害される可能性がある少数派に属する可能性を避けようとする傾向があるため、すべての市民に信教の自由や思想の自由といった基本的な自由を保障する平等の原則に賛同するとされます。
そのため、功利主義の観点で全体の幸福を最大化することよりも、基本的権利や自由を優先する傾向があるため、ロールズは功利主義は無知のベールの下で選択されないと考えたのです。
ロールズは、無知のベールの考えからリバタリアニズムは選択されないと述べられました。
その理由は、無知のベールにいる時、自分が貧しい暮らしになる可能性を避けようとする傾向があるため、所得や富が平等に分配される考えに賛同するとされます。
そのため、個人の自由や権利を重視するリバタリアニズムよりも、自由が制限される富が平等に分配される考え方が優先されるとロールズは考えました。
ロールズは、富が平等に分配される方法よりも効果的なアプローチとして格差原理を提案しました。
格差原理は、社会や経済の不平等が、最も不運な人々の最大限の利益を追求するように調整されるべきだという考えです。
要するに、不平等は社会全体の利益最大化よりも、特に最も弱者や不運な人々の利益を最大限に考慮することが重要だとする理念です。
これにより、無知のヴェールの下で自分が経済的に不利な立場になる可能性に対する不安を和らげることができるとされています。
つまり、格差原理は、経済的に弱い立場にある人々にも利益をもたらす仕組みが存在することで、無知のヴェールの中で選択肢として選ばれるとロールズは考えました。
第7章 アファーマティブ・アクションをめぐる論争
第7章では、アファーマティブ・アクションに対する論争が述べられています。
アファーマティブ・アクションは、特定の社会的・人種的な集団や性別などが過去の差別や不平等などからくる不利な状況を克服し、平等な機会を提供するために行われる政策や措置のことを指します。
この取り組みは、過去の不平等を是正し、多様性を促進することを目的としています。
アファーマティブ・アクションに対する批判として、3つ挙げられています。
1つ目は、アファーマティブ・アクションが逆差別を助長する可能性があるという批判があります。
これは、特定の集団を優遇することが、他の集団に対して不公平な扱いをもたらす可能性があるという意見です。
2つ目は、アファーマティブ・アクションが個々人の能力や資質よりも、特定の集団に所属することを優先する可能性があると指摘されています。
これによって、優秀な個人が排除されたり、適切な人材の選択が阻害されることが懸念されます。
3つ目は、アファーマティブ・アクションで補償される人々や補償を受ける人々が、過去の不平等とは無関係であるため、アファーマティブ・アクションを行うのは誤りであるという批判が存在します。
第8章 誰が何に値するか? − アリストテレス
第8章では、アリストテレスの考えについて紹介されています。
アリストテレスの基本理念として、「特定の行為が正義であるかどうかは、その意図に関連する」と「その目的は、特定の行為が褒められるべき美徳に関わっている」があげられる。
アリストテレスは政治の目的を「市民が善く生きる方法を追求すること」とし、政治的な地位や名誉は「善き市民」に与えられるべきだと考えました。
第9章 たがいに負うものは何か? − 忠誠のジレンマ
アリストテレスは政治の目的を「善の実践」と明確に位置づけましたが、カントやロールズといった哲学者たちは、個人が自己の自由な判断によって善や正義を選択する権利を強調しました。
しかしながら、こうしたアプローチは実現可能性の観点からは現実的でない側面も存在します。
中立な「正義の原則」や個人の「選択の自由」を基盤にして何が正しいかを判断することは複雑であり、また私たちのアイデンティティを形成するコミュニティや伝統に由来する道徳的な要請との調和を図ることも難しいことがあります。
そのため、個人が社会的な役割や立場から切り離せず、自身の帰属には責任が伴うと主張したのが「コミュニタリアン(共同体主義)」と称される人々です。
共同体主義の特徴として、3つあります。
1つ目は、共同体主義は個人主義や自己中心的な観点に対抗する立場として、個人の善や幸福を共同体や社会全体の善に結びつけることを強調します。
具体的には、共同体や伝統から生まれる価値観や道徳的基準が個人の判断に影響を与え、社会の安定や調和を保つ重要な要素であると捉えられます。
2つ目は、共同体主義は個人の自由や権利が尊重されるべきである一方で、社会的なつながりや共同体の役割も重視する立場を取ります。
これにより、個人の選択が社会的な文脈や価値観に照らして評価されるべきであると主張します。
3つ目は、共同体主義は一部の利益や権利を追求するのではなく、共同体全体の利益や調和を重要視するという点で、個人主義とは対照的な特徴を持っています。
第10章 正義と共通善
「正義」の考え方として、3つの視点が紹介されました。
1つ目は、「正義は効用や福祉を最大化すること」
2つ目は、「正義は選択の自由を尊重すること」
3つ目は、「正義には美徳を涵養すること」
筆者は、これら3つのアプローチの中で3つ目の考え方を支持しています。
その理由は、1つ目の功利主義は「幸福」という本来多様な概念を定量化しようとする点で限界があるからです。
2つ目のリバタリアニズムは、人々の選択の自由を保障しても、道徳的な問題に対処することができないからです。
このことから、筆者は3つ目の「正義には美徳を涵養すること」というの考え方を支持しています。
また、筆者は、正義と共通善について以下のように述べています。
共通善を現実の政治に反映する方法はまだ見いだしていないが、政治が積極的に道徳に関与することが必要だと述べています。
気になった内容
「成功している人は、自分の成功の偶然性の影響を理解していない」
これは、作者が紹介したジョン・ロールズの一文からの引用です。
現代社会では、行動力やコミュニケーション能力、思考力が高く評価される資質として挙げられます。
しかしながら、もし私たちの生活する社会が狩猟社会であった場合、獲物を捕る能力が高く評価され、戦国時代なら敵を打ち破る力が重要視されるでしょう。
そのため、現在成功している人は、偶然に能力を活かせる時代にいるだけと言うことができます。
もちろん、成功している人は「努力」が理由だと主張することもあります。
彼ら自身の努力によって成し遂げたという意義を持っているかもしれません。
しかしながら、成功している人の身体や頭脳は、自身で獲得したものなのでしょうか。
また、努力できる環境は自身で手に入れられるものでしょうか。
答えは否であり、すべては偶然の結果です。
成功している人の努力に感心する一方で、その努力が偶然によって可能になったことを忘れてはいけないと言えます。
今、私が雑草であることも偶然……
「自己は社会的・歴史的役割や立場から切り離せる」という誤った前提
この言葉は、作者が紹介したアラスデア・マッキンタイアの過去の歴史と現代の私たちとの関わりについて述べています。
具体的には、日本人が太平洋戦争中に中国、朝鮮、東南アジアで行った虐殺や強制労働について、現代の日本人には「私はやっていないから関係ない」と言うことはできないという考え方です。
私たちの現在の豊かな生活は、先人たちが長い年月をかけて築いてきたものであることは、誰にも否定できない事実です。
しかしながら、そのようなプラスの側面だけが私たちの社会を成り立たせているわけではありません。
歴史には負の側面も存在し、それが現代の私たちの生活にも影響を与えているのです。
そのため、私たちが日本人という社会集団に所属している限り、過去の出来事との関連性があり、それに対して責任を持つ必要があると述べられています。
今があるのは、過去があるから
読んで得られたこと
「今ある環境への感謝を忘れない」
『これからの「正義」の話をしよう』から得た教訓として、私たちが恵まれた環境で暮らしていることが挙げられます。
現在、私たちが平和で豊かな生活を享受しているのは、偶然の結果であるかもしれません。
そのため、この恵まれた環境に感謝の意を持ち、その感謝の気持ちをもって生きていくことが重要であると言えます。
昔あったことだとしても、自分とは関係ないとは言えない
私たちの現在は、過去があることによって成り立っています。
過去の過ちは、自分自身が実際に行ったわけではなくても、社会集団に所属している限り無関係とは言えません。
そのため、過去の栄光も過ちも、全てが現在の自分たちを形作るために必要な要素であると言うことができます。
オススメ度
この本のおすすめ度は…星4つです。
★★★★☆
この本は、「正義」を多角的な視点から捉えようとする内容です。
具体的な例も多く挙げられており、非常にわかりやすい本だと言えます。
私もこの本を読んで多くの参考になることがあったため、星4つの評価にしました。
結論
「正義」は、視点によって異なるため非常に難しいと、この本を読んで再確認しました。
この本は、読む人それぞれが新たな考えを得ることができる意義深い一冊です。
そのため、もしこのブログを見て、この本に興味を持っていただけたら、私も嬉しく思います。
本を読んで新たなインスピレーションを!