「人を信じる」と「人に優しくする」は、どちらもシンプルでありながら、日々の関係を深め、心に温かさをもたらす大切な要素です。
人を信じることには勇気が必要であり、時に傷つくこともあるかもしれません。
一方、優しさは他者に安心感や思いやりを伝えます。
この2つが重なり合うことで、豊かな人間関係が築かれ、私たち自身も心の豊かさを得ることができるのです。
そんな今回は、「人を信じる」と「人に優しくする」ことについて考えさせられる文章を紹介します。
追い詰められても誰も親切にしてくれないから、だから人を拒絶していいのか。
善意を示してくれた相手を見捨てることの理由になるのか。
絶対の善意でなければ、信じることができないのか。
人からこれ以上ないほど優しくされるのでなければ、人に優しくすることができないのか。
「……そうじゃないだろう」
陽子自身が人を信じることと、人が陽子を裏切ることは何の関係もないはずだ。
陽子自身が優しいことと他者が陽子に優しいことは、何の関係もないはずなのに。
他者を信じるとは:絶対的な善意を求めてしまう心
多くの人が、誰かに裏切られた経験をもつことでしょう。
友人や恋人、家族、職場の仲間など、人間関係の中で自分の信頼を踏みにじられると、人を信じることが怖くなります。
そして「本当に信用できる相手は、自分にとっての絶対的な味方であってほしい」という願望が強くなりがちです。
裏切られた経験があるからこそ、「完全な善意」を相手に求めたくなるのです。
しかし、人生において「絶対の善意」で満たされる関係はほとんど存在しません。
どんなに仲が良くても、自分と相手が全く同じ価値観を持つことはほとんどなく、時には意見の違いやすれ違いが生じます。
また、たとえ他者が優しい言葉をかけてくれたとしても、それを本心からのものだと完全に信じられないこともあるでしょう。
こうした状況が続くと、
「善意を持って接してくれる相手がどこかで裏切るのではないか」
「相手の優しさは何かの見返りを期待しているのではないか」
と疑心暗鬼になり、自分から他者を遠ざけるようになります。
「他者の行動」と「自分の態度」の関係を分ける
ここで問いかけたいのは、「他人がどう接してくるかは、自分の行動に影響を与えるべきだろうか?」という点です。
多くの場合、誰かから受けた態度が自分の行動に影響を与えがちですが、必ずしもそれが正しいとは限りません。
むしろ「自分が優しさを持って接すること」と「他人が自分にどのように接するか」は独立して考えるべきだといえます。
ある人が自分に親切に接してくれなかったからといって、全ての人に対して冷たく接する理由にはなりません。
たとえば、親切にしてくれた人がいても「どうせ自分を裏切るかもしれない」と距離を置くのは、実はその人の善意を見捨てる行為でもあります。
たとえ裏切られる可能性があるとしても、その人が今自分に示してくれた善意を無視してしまうのはもったいないことです。
人を信じるかどうかは、相手の行動に関係なく、まずは自分の選択として成り立つべきだといえます。「人を信じたい」「信じる価値がある」と思えば、その気持ちを優先することで人間関係がより豊かになる可能性があります。
信頼とはリスクを伴うもの
他者を信頼するという行為には、当然リスクが伴います。
相手が自分の信頼に応えてくれるとは限らないからです。
しかし、そのリスクを乗り越えて信頼を寄せるからこそ、真の信頼関係が築けるのです。
人と人が深い関係を築くためには、自分がどこかでリスクを取る必要があります。
「裏切られたくない」「傷つきたくない」という思いが先行しすぎると、結局は他者を遠ざけることになり、孤独を招きます。
誰かが自分に示す優しさに、完璧な善意がないかもしれないからといって、それを理由に信頼を拒むことは、実は相手だけでなく自分をも孤立させてしまいます。
他人から優しさをもらうことが前提ではなく、自分がまず与えることができるかどうかが、結果として関係性を築くための第一歩となるのです。
自分の「優しさ」を選ぶということ
ここで、他者に優しくすることについても考えてみましょう。
「自分が優しくするからには、相手も自分に優しくしてほしい」と考えるのは自然なことですが、実際には他者がこちらに優しさを返してくれるとは限りません。
それでも、相手からの反応にかかわらず優しさを選ぶことで、自分が他者との関わりの中で成長することができます。
これは「他者の態度に自分が左右されない」という精神的な強さの一つとも言えるでしょう。
優しさを持って接することは、時には無駄に感じるかもしれません。
しかし、親切や善意を示し続けることで、そのうち本当に心から信頼できる人と出会える可能性も高まります。
また、優しさを他人に与えることで、いつしか自分の心にも余裕が生まれ、自己肯定感が高まる効果もあります。
優しさと信頼は「自分を守るための盾」ではなく「他者とつながるための架け橋」
優しさや信頼は、単に自分を守るための手段ではなく、人とつながるための「架け橋」となるものです。
他者の善意に絶対の信頼を求めるのではなく、「自分が信じたいかどうか」「自分が優しく接する選択をしたいかどうか」を大切にすることが、豊かな人間関係の基盤となります。
信頼や優しさは、相手からの完璧な反応を期待するための条件ではありません。
自分の信念や行動を他者の反応に依存させないことで、人はより自立した心を持てるようになります。
これは他人と共に生きる上で、自己を守りつつも開かれた心でいられるための秘訣です。
結論
結局のところ、「人を信じること」「人に優しくすること」は、他者が自分にどう接するかという問題に依存しない選択なのです。
他者が自分をどう扱うかは、制御できない要素であり、それを条件にしてしまうと、他人に振り回される人生となってしまいます。
むしろ、自分がどのように人と関わり、どのように優しさを示すかは、他者に関わらず自分自身が決めることができるのです。
この記事を通じて、誰かに信頼や優しさを示すことが、結果として自分をも強くし、人とのつながりを築くための力になるという考えが伝われば幸いです。