
法律というのは秩序を守っているのであって、人間を守っているわけではない
この言葉には、法という仕組みの冷たさと、それゆえの限界がよく表れています。
私たちは普段、法律が正義の味方であり、弱い立場の人を守ってくれる存在だと期待しがちです。
しかし、現実の法律は決してそんな理想的なものではありません。法律とは本来、人間の感情から切り離された「無機質なルール」であり、その役割は“人を守ること”よりも“社会の秩序を保つこと”に重きを置いているのです。
無機質な存在としての法律
法律とは、国や地域社会の秩序を維持するために定められた「形式的なルール群」です。その基本的な性質は一貫しており、誰であろうと、どのような背景があろうと、「ルールに従ったか否か」でしか判断されません。
ある人が生きるためにやむを得ずルールを破ったとしても、法律はそれを「情状」として勘案することはあっても、「正当化」することはありません。
たとえば、生活苦に陥った人が飢えに耐えかねてコンビニで食料を盗んだ場合、そこにどれだけ悲しい事情があっても、「窃盗」という事実に対して法律は機械的に反応します。もちろん裁判では情状酌量が考慮されることもありますが、あくまで「減刑の材料」でしかなく、「正しいこと」と認められるわけではありません。
ここに、法律というものが「血の通わない存在」であることがよく表れています。法律は同情しませんし、泣き落としも通用しません。ただ、淡々と決められた手続きと基準に従って動くだけです。
法律は誰のためにあるのか?
では、法律は本当に“人間のため”に存在しているのでしょうか。
答えは「部分的にはYesだが、根本的にはNo」です。
法律は確かに、「個人の権利を守る」「犯罪を防ぐ」といった人間にとって必要な機能も持っています。
しかしそれはあくまで副次的な効果であり、最大の目的は「社会の安定」です。
すべての人が自分の好き勝手に振る舞えば、社会は混乱します。だからこそ、共通のルールを定め、それに従わせることで、ある程度の秩序を保っているのです。
たとえば、道路交通法。これは一見すると人命を守るための法律のようにも見えますが、本質は「交通の流れを統一すること」です。
深夜、誰もいない交差点で赤信号を無視して渡っても、実際には誰も傷つかないかもしれません。
しかし、ルール違反は違反です。警察に見つかれば切符を切られ、罰金が科されます。
法律は、個々のケースに「善悪」を見ようとしません。常に「ルールに反しているかどうか」しか見ないのです。
具体的な事例1:池袋暴走事故
2019年、東京・池袋で高齢者の運転する車が暴走し、母子2人が死亡した事故がありました。
この事件では、加害者が元官僚であったこともあり、「逮捕されない」「すぐには起訴されない」といった処理がなされたことで、大きな批判を浴びました。
世間では「上級国民だから守られているのではないか」との声が噴出しましたが、警察や検察の説明は一貫して「逃亡や証拠隠滅の恐れがないため、逮捕の必要がない」というものでした。
つまり、形式的には法律に従っただけの判断です。しかし、それは果たして「人間を守るため」の判断だったのでしょうか。
この事件は、法律が冷静な秩序維持装置として機能した一方で、遺族や一般市民の「感情」や「納得」をまったく考慮しない無機質さを浮き彫りにしました。
具体的な事例2:痴漢冤罪事件
もう一つ、よく知られた事例として「痴漢冤罪事件」があります。
特に通勤ラッシュ時の電車内での痴漢をめぐっては、「疑われただけで逮捕される」「物的証拠がなくても女性の証言だけで有罪になる」といった声が多くあります。
実際に、冤罪だったと後から判明するケースもありましたが、一度“容疑者”になってしまえば、その人の社会的信用や生活は大きく損なわれます。
この場合、法律は「被害を訴える人の証言」や「証拠の重み」に従って機械的に動いています。
冤罪であっても、「手続きに問題がなかった」という理由で謝罪や補償がなされないこともあります。
これもまた、法律が「人間の尊厳を守るため」ではなく、「形式と秩序の維持のため」に動いていることの証左です。
結論:法律の“外側”にある責任
法律は人間のために存在している──そう信じたい気持ちはあります。
しかし実際には、法律は社会の“安定”という冷たい機能を優先します。だからこそ、私たちはその限界を理解しておく必要があるのです。
法律はあくまで「最小限の秩序を保つための土台」であり、それだけで社会が“正義”になるわけではありません。
本当に人を守るもの、それは「法律の外側」にあります。
つまり、他者を思いやる心、状況を受け止める柔軟さ、そして一人ひとりが「どう生きるか」という倫理観です。
私たちが法律の無機質さを知ったときに初めて、本当の意味で“人間を守る”ということの重みが見えてくるのではないでしょうか。