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リアルなツンデレはツラいだけ?現実とアニメのギャップとは

tunndere コラム

ツンデレをツンデレと理解できるのは第三者だけ、やられる側はたまったもんじゃない

ツンデレ

それは、アニメのキャラクターとして、よく登場する。

「ツンツンしてるくせに、時々見せるデレがたまらない」という、ギャップ萌え属性

作品では王道のキャラ設定。口が悪いけど本当は優しい、冷たいけどこっそり助けてくれる。

観客席から見ているぶんには、とても魅力的。

見ていて飽きないし、「はいはい出ました〜」とニヤけてしまう瞬間もある。

でも、それを現実でくらう側の気持ち、考えたことありますか?

雑美ちゃん
雑美ちゃん

別に、アンタのことなんか好きじゃないんだから!

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現実のツンデレ、情報が錯綜する

アニメでは視聴者にわかりやすいように「これはデレですよ~」というサインがきちんと出ている。

BGM、表情、ツンとのギャップなど、あらゆる演出が整っているから“可愛く”見える。

でも、現実ではそんなサイン出ません。

言ってることはツン、態度もちょっとトゲトゲ、でも少し優しくもある……

その曖昧な言動に振り回されて、こっちは情報処理が追いつかない。

「これって好意?それとも皮肉?どっち??」

…と、心が毎回バグる。

第三者は笑って見ていられるけど、当事者は混乱してしまいます。

ギャップは“余裕”があるときしか楽しめない

ツンデレの魅力はギャップにあるけれど、それを“ギャップ”として処理できるのは、受け手側に余裕があるから。

アニメの中なら、セリフの裏も見えてるし、「デレた瞬間」を拾えるだけの安心感がある。

でも、現実では違う。

ツンが多めで、たまに優しいくらいじゃ「気まぐれな人」として扱われて終わる。

しかもこちらがその裏を読み違えたら、“空気読めない人”のレッテルすら貼られる。

つまり、リアルのツンデレって、想像以上にコストが高い。

ツンデレは“観察”するもの。実践すると疲れる

結論から言おう。

ツンデレは「見るもの」であって「されるもの」ではない。

いや、正確に言うなら、“やられるとただただ疲れる”

ツンの時に傷つき、デレの時に「え、今のはデレだったの?」と戸惑う。

心のアップダウンが激しくて、振り回される側はなかなかしんどい。

視聴者としてのツンデレは最高。

だが当事者になると、思っていた100倍しんどい。

じゃあ現実のツンデレって全部悪なのか?

もちろん、ツンデレ気質そのものが悪いわけではない。

性格の一部として、照れ隠しや自意識の表れでもあるし、それ自体が魅力的に映ることもある。

ただ、周囲とのコミュニケーションにおいては、“言葉と行動の整合性”を持ってくれた方が平和というだけの話。

何を考えているのかわからない言動は、相手に誤解を与えるし、余計なストレスを生む。

だからこそ、もしツンデレ的な人と接する機会があるなら、無理に解読しようとせず、「たぶんこれはそういう表現なんだな」と受け流す力も必要かもしれない。

まとめ:ツンデレは、スクリーンの中だけで楽しもう

あらためて言いたい。

ツンデレをツンデレと理解できるのは、演出や前フリを知ってる“観客”だけなのだ。

やられる側にとっては、デレがいつ来るかもわからず、ツンばかりが積もっていく。

そう、まさにツンツン地獄。

ツンデレって、かわいいよね。
――そう言えるのは、画面の外にいるからこそ、だ。

考える雑草くん
考える雑草くん

やっぱり、好きって感情を素直に教えてほしいよね!